| Japan tour 2002 ライブリポート・東京・Body & Soul 4/30/2002 |
| ライブリポート by mid-west さん |
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セカンドセットの開演前、ティッシュのセッティングに余念のなかった健吾さん である。ティッシュを箱から引き出して、ピアノの中にそっと隠す。やはり黄砂 の影響で悪化したという花粉症が気になるらしい。ファーストセットでは全身を バネのようにくねらせながら演奏し、顔全体から汗が噴き出しているから僕たち には全く気にならないが、御本人としては鼻水が気になるらしい。こういう健吾 さん、けっこう「気にしい」なのだが、そこがまたラブリーなのである。鼻がつ まっているのに、あくまでもパワフルでファンキーな演奏、やはり中村健吾はた だものではない。 セカンドセットの開始は午後10時40分。オーディエンスの拍手と歓声とに迎えら れ健吾さんは、もう凛々しかった。高橋さんはスーツの下をTシャツに着替えて 微笑んでいる。アッちゃんも・・・(そう呼びたくなるシャイな笑顔)、野本さ んも・・・もちろん静かにスマイル。すごくいい感じである。再び演奏がはじ まった。 07 Field of Dreams 08 Walkin’ Together 09 Say Hello to Say Goodbye 10 Where Crisis Speaks 12 Brother Nutman 13 Isn’t She Lovely こうして南青山BODY & SOULでのライブは終わった。まさに、中村健吾カルテッ ト渾身の、エレガントにして壮絶なライブなのであった。 一年前、僕は中村健吾というベーシストに初めてであった。彼のファーストアル バム“DIVINE”のツアー初日、六本木のAlfieでのことである。そして、そのツ アーの最終日のライブを、ここBODY & SOULで聴いた。しかしその時は、残念な ことに、小曽根真とのデュオツアーの一か月が、どれほど豊かな果実を中村健吾 にもたらしたのか、まだ十分に理解できていなかったように思う。なにしろ僕と きたら、Alfieでのライブがジャズセッション初体験という具合で、自分流の ジャズの聴き方、楽しみ方を何も知らなかったからだ。だが、しかし、である。 あのはじめての夜、神は、小曽根真とだけではなく、中村健吾をも僕に引き合わ せくれていたのである。出会いを必然化するためには、時としてそうとうな時間 と努力を必用とするものだが、あれから一年の時を経て、今度こそ僕は中村健吾 に出会ったと言わせていただきたい。2002年4月1日の横浜DOLPHYにはじまり、30 日のBODY & SOUL に終わる一か月を、僕は中村健吾カルテットと共に過ごした。 ライブを聴いたのは、象徴的に月初と月末だったのだが、この一月というもの、 毎夜彼らがどこでライブをしているか気になってしかたがなかった。横浜での演 奏の記憶を反芻し、二枚の中村のリーダーアルバムを何度も何度も聞いた。そし て、また高鳴る思い押さえながら彼らに会いに行ったのである。期待は大きく裏 切られた。もちろん、良い方向に、である。ひとつひとつの楽曲へのコメントに も書いたが、この一月の中村健吾カルテットの変貌と進化は、想像を絶するもの であり、30日のセッションは、中村健吾のミュージシャンとしての意図や構想を 具現化し、肉体化し、実にみごとな音楽的成果をあげていたと思う。おそらく、 このツアーのセッションの中で、何度もスクラップ&ビルドを繰り返し、無数の 挑戦と失敗を経験した上での成熟に違いないが、東京に帰ってきた中村健吾は、 ものすごくタフで大きくなっていたと思う。今や彼が無口なベーシストとである というイメージは全くない。音楽的に、そして人間的に、彼が豊かなボキャブラ リーを持つ人間であることを確信するからである。この涙もろい、浪速出身の ファンキーなベーシストは、このジャパンツアーで得た自信を丸抱えにして、本 拠地ニューヨークへ帰っていった。おそらく日本を飛び立った飛行機の中で、中 村健吾はひとり涙していたのではなかったか。バンドのメンバーへの愛と感謝、 ツアー中に出会ったオーディエンスやスタッフへの思い、そして小曽根真への限 りないレスペクト。しかし、今、彼にはもう泣くために借りる小曽根真の胸はな い。その事実をかみしめながら、J.F.Kに降り立つ中村健吾の自信に満ちて引き 締まった顔を、僕は心から見てみたいと思う。しかし、それは妻kiyokoさんにだ け許された特権であろう。ファンである僕たちは、中村健吾の次のリーダーアル バムを、アメリカでのさまざまなミュージシャンたちとのセッションの評判を、 そして中村健吾カルテットのリユニオンを、心から期待するばかりである。幸 い、2002年8月3日、北海道で行われる「くっちゃんジャズフェスティバル」に は、中村健吾カルテットがブッキングされている。またすぐに愛すべき彼らに再 会できるのである。 ライブ終了後、ドラムスの高橋徹さんと少しお話しをした。今回のツアーは移動 が多く、実に過酷なものだったそうである。彼自身、北海道で財布や免許証をな くすというアクシデントにも遭遇している。しかし、彼は本当に中村健吾カル テットをエンジョイしていた。この一月での「フォーバス知事の寓話」の変貌に ついて「“DOLPHY”とは全然違うものになってたでしょう!」と嬉しそうに話す この生真面目でファンキーなドラマーも、中村健吾と同じ方向に顔を向けて一気 にツアーを駆け抜けた。それにしても、ピアノの野本晴美さんといい、サックス の池田篤さんといい、本当に素敵なメンバーであった。オーディエンスとして心 から感謝と賞賛の言葉を捧げたい。 今、僕は小曽根さんの言葉を思い出している。今年3月の山形ライブからの帰途 の新幹線の中で聴いた言葉である。「ほんまにこのメンバーで、一月くらいツ アーやったら、どんなに曲がすばらしいものになるやろうかと思うねん。絶対も のすごいことになる。考えただけでわくわくするわ。いつかこのメンバーでツ アーに行きたいなあ」。これは「セクステットのための組曲」の奏者たちのため に捧げられた言葉。僕はこのごろジャズミュージシャンの生理ということをずっ と考えている。レスペクトできるメンバーとの一月のツアーがどんなに豊かな音 楽的果実を結ぶか、当たり前のことではあるが、小曽根さんはよく知っているの である。僕は、その言葉の具現を、中村健吾カルテットによって目の当たりにす ることが出来た。本当に幸せな経験であった。小曽根真の言葉が、中村健吾に よって実現される。これも、小曽根さんと健吾さんならではの見事なデュオに違 いない、と僕は思う。 ジャズは本当にすばらしい。ジャズミュージシャンのツアーは、人生そのもの だ。中村健吾さん、野本晴美さん、高橋徹さん、池田篤さん、そして道下和彦さ ん、本当にありがとう!僕は、この2002年4月のことを忘れない。あなたたちと の記憶を大切にします。再会できることを心から楽しみにしています。だから、 お願い。きっとまた、このメンバーでツアーしてくださいね。心から愛してる でぇ! |
| ファーストステージ |